幸福や健康という意味を持つ「Well-being(ウェルビーイング)」を
近頃はよく耳にするようになりました。
「Well-being」とは何なのか?その本質はどんなものなのか?
第一人者としてご活躍されている
近畿大学 森口ゆたか教授にお越しいただき
大伸社ホールディングスのアドバイザー 上平豊久がお話をうかがいました。
森口 ゆたか
MORIGUCHI YUTAKA
美術家
近畿大学 文芸学部 文化デザイン学科 教授
NPO法人アーツプロジェクト副理事長
美術制作の傍ら、1998年から2年間のイギリス滞在中にホスピタルアートと出会い、その活動を日本に紹介。これまでに30件以上の病院でホスピタルアートの企画、運営、実施、監修を行う。2016年からは近畿大学文芸学部に新設された文化デザイン学科において「芸術と社会」の観点から後進の指導にあたられている。
上平 豊久
UEHIRA TOYOHISA
Well-being and Search Advisor
株式会社大伸社 アドバイザー
Artbar Director
1984年に株式会社大伸社へ入社。カタログセンター時代から今日に至るまで、大伸社の方針決定と経営に携わる。分社後はホールディングスの最高経営責任者へ就任したのち、70周年の節目に、次世代を支えるアドバイザーへ転向。その他、アートを身近に楽しめる「Artbar」の展開など、活動の幅は多岐にわたる。
アートがコミュニケーションの軸になる
ホスピタルアートとウェルビーイングの関係。
上平 豊久)森口先生とは、私が2019年の日本健康科学学会に携わった際にご縁が始まりましたよね。アートと健康の関係について知りたいと思っていたときに、日本に第一人者が居ますよということで、森口先生をご紹介いただきました。
森口 ゆたか教授 以下敬称略)私はマンチェスターで、アートと健康とを繋ぐホスピタルアート活動に出会って感銘を受けたんです。もともとは現代アートのアーティストとして活動していましたが、社会との接点も少なく、このままでいいのかなと…焦燥さえ感じていたときでした。アートは、人の幸せや社会全体の幸せ、ウェルビーイングに繋ぐための架け橋になれる。アートの可能性を再認識して、その道へ進もうと思いました。
上平)森口先生は「アートが心身の健康にポジティブな影響を与える」という、ホスピタルアートの考え方を日本で広めた先駆者ですよね。
以前うかがいましたけれど、ホスピタルアートに携わる流れもドラマティックでした。
森口)ええ。マンチェスターへは家族の都合で2年滞在しましたが、その間に大学で講義を受けようと思っていて。「ホスピタルアートを学びたいのですが、受講受付はどちらですか?」と守衛さんにうかがったら、どういうわけか、同じ敷地内にオフィスを構えるホスピタルアートの団体『Arts for Health』へ案内されたんです。
上平)導かれたんですね。
森口)ほんとうにそうですね。『Arts for Health』へ行くとたまたま代表の方がいらして、お話ししているうちに、いつの間にか所員になっていましたから。まだ、肝心の受講登録もできていないのに! 実は当時、『Arts for Health』が世界的なシンポジウムを主催していて、そのための日本人スタッフが必要だったようなんですけれど。家に帰るとすぐに、日本の参加者の方から電話が来て「Arts for Health の森口さんですか?」って言うんですよ。そこから私は、日本の代表団のコーディネーターをして…すべて偶然ですが、ほんの2-3時間で私の人生が変わりました。
上平)偶然だと言いますけれど、先生はアメリカで一番歴史のあるシカゴ美術館附属美術大学でMFA(修士)を取得されていますし、そういった知見があったからこそだと思います。 日本に帰ってきてからは『NPO法人アーツプロジェクト』を興されていますよね。私は、科学と哲学と芸術は、根源的欲求だと思っているんです。プラトンのいう真善美…真であること、善いこと、美しいこと、それは紀元前からある人間の理想や価値観です。いまの日本の医療は科学に偏りすぎている気がしていて、もう少し科学とは異なるアプローチがあるんじゃないか?と考えているんですよ。先生はNPOでの活動を通じて、ホスピタルアートを医療現場で実践されていて、とても興味深いです。
森口)NPOの理事長を務める森合音さんは、国立独立行政法人の総合病院『四国こどもとおとなの医療センター』のホスピタルアートディレクターをしています。全国の病院の方が見学に来られますが、そこの病院にはさまざまなアートが溢れているんです。”ニッチスペース”という家型の穴には、ボランティアの方が編んだあみぐるみや詩、花など、つねに”新鮮なアート”が置いてある。ドアがあって、開ける楽しさがあるニッチスペースもあります。アートは持ち帰れるんですよ。アートが心の架け橋、コミュニケーションの場になっているんです。
上平)アートとの触れあいには、パッシブとアクティブがあると思っていて。たまたま壁に掛かっていた絵画を見るのはパッシブ、アートをつくる・触れることはアクティブ。どちらも心身に良い影響を与えるけれど、アクティブなほうがより大きく影響しますよね。
森口)家族が入院しているお子さんも楽しめる、病院に来ることが楽しみになる。アートが病院の理念や想いを伝えるタッチポイントになっていて、病院への不信感や不安が和らぐ。アートは思っている以上に雄弁なんです。
アートは“生きる術”のひとつ。
ウェルビーイングに欠かせないアートを社会へ。
上平)森口先生に出会うまでは、ウェルビーイングを知ってはいたけれど、そこまで深く考えたことがありませんでした。すごく良い言葉ですよね。ハッピーというとどこか刹那的なイメージがあるけれど、ウェルビーイングはもう少し長くつづく“良い状態”かなという気がします。
森口)私の師匠が末期のがんなのですが、彼は、今の自分の状態はウェルビーイングだと言うんです。医療機関で治療を受けていて、仲間と家族がいて、幸せだと。健康が害されたからといって、不幸になる必要もないんです。最期の瞬間まで人間らしくいられること、それが本当のウェルビーイングで、いまからめざすべき方向なんじゃないかと感じました。
上平)世界の病院では、アートがきちんと取り入れられているんですよね?日本でもホスピタルアートを普及できれば、患者さんの痛みやつらさが和らぐんじゃないかな。
森口)日本では明治以降に西洋文化が入ってきてから、テクニックとしての“医術”が優先になったような気がします。欧米の病院では、アートアクティビティの時間割があるところもありますよ。入院生活が楽しくなるような、人間らしい生活を送れるような、音楽や展覧会があったりして。それに、イギリスのホスピタルアートは、病院の中だけではなく、国民のウェルビーイングに関わるさまざまなアート活動のことを指しています。国を挙げて取り組んでいるんです。
上平)芸術と医療がどちらも生きる術になっているんですね。そういえば、森口先生は近畿大学で医学部の授業も担当されていますよね。
森口)私は普段「デザインの力を社会に繋げられる人を育てる」という理念で創設された文芸学部文化デザイン学科を担当していて、医学部では選択授業として1回だけ講義を受け持っていました。それが嬉しいことに、医学部生たちが面白いと感じてくれたようで。2022年からは文芸学部文化デザイン学科のゼミ生と医学部生が、一緒にホスピタルアートについて学んでいます。
上平)お話をうかがうたびに、前進されているなと実感します。私も、アートを通じて公のために何ができるか?を考えていきたいです。大伸社はアート印刷を得意としていて、デザインも行いますし、アートとは深い関わりがあります。いまは「Artbar」の運営もしていますが、そこでは何かに没頭できる時間を少しでも提供できればと思っています。筆を握ったり、何かを描く・創るのは中学生以来、という方も多いですよね。アクティブなアートをもっと気軽に、身近なものにできたら嬉しいです。
森口)「アートは芸術だ」と敷居を高くしがちですよね。大学では、興味のある子でもアートにコンプレックスがあって、私はそれを壊したい。アートは感じること。自分の生活を豊かにするもの。願望を投影したり、自分の状況によって着眼点が変わったり、それが良いんです。大阪はアナーキーで、人のチカラでなんとかしよう!とするイメージがあります。自分たちで豊かにしていこうとする姿が好きです。とんでもないアートが出てくる、アメリカの西海岸とも似ていますよね。とんでもない、これまでにないことができるのは、大阪だという気がします。勝手ながら同士のように感じている上平さんと一緒に、アートのチカラを社会に役立てられたら素敵ですね。
上平)ホスピタルアートの先駆者である森口先生に、これからもついていきたい。僭越ながら、さまざまな形で活動をサポートしたいと思っています。いつも新しい話題があって、お話するのがとっても楽しいです。これからもどうぞよろしくお願い致します。